2019/05/23 スパイスと歴史
スパイスを求めてヨーロッパ各国がアジア進出を計り、独自ルートの獲得に乗り出した大航海時代。各国がこぞって東周りで出航した中、クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)は1492年にスペインから西回りで出航します。
当時コショウの原産地であるインドは、ヨーロッパ諸国にとってどうしても辿り着きたい場所でした。しかし、コロンブス一行が到着した土地、それはアメリカ大陸でした。現代の私たちであれば、最初に辿り着く場所がアメリカ大陸であろうことは容易に想像できますが、コロンブスはそこをインドであると思い込んだのです。
そう思い込んでしまうほどにインドという土地が憧れの場所であったのかもしれません。そのことは、現在もアメリカ大陸に元々住んでいた先住民族を「インディオ(Indio)」「インディアン(Indian)」、カリブ海に広がる島々を「西インド諸島(West Indies)」と呼ぶことにも色濃く表れていると言えるでしょう。
もちろん、後にその地はアメリカ大陸だとわかり、「新大陸の発見」という形で功績を残したとされるわけですが、結局コロンブスはインドに辿り着くことなく生涯を終えたのでした。
新大陸、つまりアメリカ大陸には、コショウをはじめとするヨーロッパ諸国が求めていたスパイスは、残念ながらありませんでした。ただ、赤くて辛い新しいタイプのスパイスがそこにはありました。それが「トウガラシ」です。
トウガラシの原産は中南米、特にメキシコでは紀元前6000年前から使われていたとも言われています。それだけの歴史を持ちながら、コロンブス一行がアメリカ大陸に到着するまでその存在は世界に知られていませんでした。
コロンブスはこのトウガラシをヨーロッパに持ち帰るわけですが、ここでも「この赤くて辛いスパイスもコショウの一種に違いない」と思い込み、「Red Pepper(赤いコショウ)」として紹介したのでした。それほどまでに「コショウ」は当時のヨーロッパにおいて貴重且つ影響力のあるスパイスであったと言えます。
期待されたスパイスではなかったものの、この新種のスパイスはヨーロッパでも受け入れられ、そこからアジアをはじめ世界中に瞬く間に広まっていき、16世紀中頃には日本にも伝わりました。
「新大陸の発見」はコロンブスの功績として歴史上でも当たり前に語られ、英雄として扱われることもしばしばあります。実際、アメリカをはじめ、コロンブスを派遣したスペイン、植民地支配を受けた中南米諸国など、コロンブスがアメリカ大陸に到着したことを祝う日として、10月12日を祝日とする国は多く、コロンビアに関してはコロンブスが国名の由来にもなっています。また、お札の肖像(ユーロ以前のスペインのペセタなど)、通りや広場の名称にもコロンブスが使われていたりもします。
しかし、そもそもアメリカ大陸に住んでいた原住民にとっては自分たちの居住地だったわけであり、新大陸という呼び方はあくまでもヨーロッパ目線であったとも言えます。さらには、コロンブスが先住民への虐殺、略奪、奴隷化、植民地化を遂行したことも事実なわけです。
これを反映する動きとして、例えばベネズエラでは、10月12日の祝日が2002年に「先住民抵抗の日 (Día de la Resistencia Indígena)」と改名され、また、この日には中南米の各地で先住民系の人たちによる抗議デモも開催されるようです。
こうした背景からコロンブスは侵略者という見方もできるわけで、一概に英雄とは言えないのかもしれません。
ヨーロッパ諸国がスパイスの争奪戦を繰り広げた大航海時代。インドネシアのモルッカ諸島に加え、その争奪戦の舞台としてもう1つ忘れてはならないのが「アメリカ大陸」です。今回は、「新大陸」と呼ばれたアメリカ大陸についてお話ししたいと思います。